2012年4月24日火曜日

医療における音楽療法



板東浩、松本晴子

はじめに
 前稿では音楽療法の歴史と適応(上),および心理療法としての音楽
療法(中)について触れた.今回は引き続いて,音楽療法の役割や有効
性について述べる.また,医療現場で活用し実践している臨床報告例に
ついても触れ,このシリーズ3回のまとめとしたい.
 
1.医療現場における現代の音楽療法の役割
 本シリーズ(上)で触れたように,音楽が医療の中で用いられていた歴史
は古い.音楽は超自然的な魔力を有しており,そのパワーが病気に直接働き
かけることによって,病人を回復に導くものと信じられていた.
 音楽療法は,医学や医療技術の進歩とともに,進展し続けている.近年
では音楽療法の適応範� �が次第に広がっている.従来から対象とされてきた
自閉症などの障害児や精神分裂症などの精神科の患者だけでなく,軽微な
身体的疾病を持つが精神的健常性の高い患者に対しても,行われるように
なってきている.
 従って現代の音楽療法の役割は,病気が原因となって引き起された心理的,
身体的な問題による衝撃をできるだけ和らげることにあるといえる.正規の
投薬量が呼吸機能の低下を招き精神活動の低下を引き起すために少量の投与
しかできない場合や,アレルギー体質や外来患者の手術に多量の麻酔がかけ
られない場合など,痛みや不安緩和のために音楽療法は有効といえる.

2.音楽療法の目的
 音楽療法の間口は広く,実際にはTPOに応じて様々な形態で行われている.
しかし, これらの基盤には共通した目的が認められ,下記のようにまとめる
ことができる1).
1)疼痛感の減少
  認知的な疼痛緩和手段の一つとして,音楽を用いることができる.
  a)痛みに対する過敏な意識を逸らす 
  b)リラクセーション
  c)不安を引き起すような雑音をおおい隠す
  d)情報の伝達手段
  e)快感を与える環境刺激
2)筋力機能の向上
  音楽には移動能力や呼吸機能も含めて,リハビリテーションに必要と
される身体的な運動への意欲と動きの制動能力を向上させる働きがある.
3)医療環境におけるノーマライゼーション
  音楽活動には,遊びや身体的な活動,社会的交流,娯楽,学習能力の
伝達などを積極的に機能させる働きがある.ノーマライゼ� ��ションとは,
子どもの患者が入院している場合,心身の発達に悪い影響を及ぼす単調な
生活を,音楽が和らげることを意味している.大人の患者の場合には,
情緒的に健全な状態を支えるものである.
4)情緒的な援助
  音楽は情緒に深く結びついたコミュニケーションの一形式である.
情緒的な表現の出口であり,そして安らぎの源でもある.

3.なぜ音楽がリハビリに効果があるか
 身体的障害に対してリハビリテーションを行う際には,音楽療法が有効
である.効果がある理由について,概説する. 


薬物乱用とバイポーラと気分障害

 1)動作と音楽との統合
 身体のリハビリテーションの場合では,患者の訓練と活動の意欲づけ,
目的,構造化をするために動作と音楽とを統合する.これには,音楽に
あわせる動作(movement to music)と,音楽での動作
(movement through music)がある.

 2)音楽にあわせる動作
 これは,時計間隔のペースメーカーとして,運動をうまく持続させるよう
に神経筋同調法として知られている.
 これには3つの長所があり,下記に示す.
 a) 音楽はリズムがあり,ビートは一定に持続するので,速さを認知し
やすい.歩行訓練している患者は,音のリズムが加わるだけで,大幅に改善
される.
 b) 聴覚はタイミングの感覚では,もっとも鋭敏で優れている.一定の速さ
で手を叩く場合,点滅するランプよりは,音のパターンの方がうまく合わ
せられる.
 c)音は,大脳の運動中枢を活性化する.ヒトは音を聞くと,運動中枢の
神経細胞は刺激され,全身の筋肉組織は動く準備体制に入っている.不意の
大音響で,身体がビクッとする驚愕反射もその例である.陸上競技のスタート
でも,光よりは音への反応時間が短いのもそのためである.これらのこと
から,リズミカルな聴覚刺激に合わせて動くと,我々の筋肉はリズムに同調
して興奮するのである.これによって,動きのタイミングが向上し,動きに
ぎこちなさがみられなくなる.この過程は,「聴覚リズムによる筋運動準備
過程」と呼ばれ� �いる.

 3)音楽を作り出す動作
  音楽での動作(movement through music)とは,身体的な運動を
目的として楽器を演奏する場合である.上に述べた効果に加えて,さらに
下記の長所がある.
 a) 自分が出した音を直ちに聞くことで,フィードバックされ,判断が
できる.患者の努力の度合いが反響され,行動の学習が効果的である.
 b)患者の多くは,演奏活動を好む.リハビリテーションのプログラム
の中で,意欲を刺激し保持するために,貴重な役割がある.
 c)演奏のパターンは,運動パターンの重なり,記憶がスムーズである.
ピアニストはすべての音を考えながら演奏しているのではない.無意識でも,
脊髄レベルの無条件反射のように,「指が音楽を覚えている」のである.
これは,指や腕の運動は,運動記憶として効果的に脳にインプットされる
ことを示している. 

4.症状を改善した臨床事例
 疾病とは生理的にも精神的にも苦痛や不快感を伴うものである.医療に
� ��ける手術や内視鏡検査,人工透析なども苦痛や不快感を伴う.こうした
医療の現場で,「音楽による癒し」が症状の改善などに良い効果をもたらす
ことが,様々な臨床例で報告されている.ここでは比較的代表的なものに
ついて触れる.


不安薬は、最終的に症状を治すことができる

A)成分献血で振動を伴う音楽の効果2) 
 目的:成分献血は血液凝固因子製剤の国内自給のために必要である.
しかしこれに伴う1時間の穿刺拘束をできるだけリラックスして快適に感じ
られるようにする.
 方法:成分献血用ドナーチェアに特別製の体感音響装置を搭載(図1).
ドナーは好みの曲を選び体感音響装置で音楽を聴きながら成分献血を行う.
 結果:142名を無作為抽出し,アンケート調査を行った結果,初回者
100%,経験者94%「好む」との回答であった.皮膚温,GSR(指の皮膚
電気抵抗)の測定データでも音楽を聴く方がリラックスすることが裏付
けられた.
 考察:音楽による精神的環境� �改善効果として本結果は注目される.
     
B)血液透析中における音楽療法の試み3)
 目的:透析を初めて行う導入患者や導入期から安定期に至るまでの患者の
不安とストレスを軽減する.
 方法:医療用ベッドパットタイプの体感音響装置(図2)を使用し患者の
好きな音楽テープを聴きながら透析を行う.
 結果:透析中,愁訴の多い維持透析患者10例について,音楽療法前後の
心理調査・透析経過比較・施行後の患者へのアンケートによって有効性を
評価したところ,8例で不安度の改善や吐き気・嘔吐が少なくなり,血圧
変動・不定愁訴の軽減が見られた.
 考察:難しい患者でなくても透析中を少しでも快適に過ごすことができる
クオリティ・オブ・ライフのために,音楽療法 は重要な意味を持つ.
 他に,聖路加病院「慢性透析患者・透析中の音楽併用の試み」,東北大
医学部「人工透析に対する音楽療法の鎮痛効果―特に脳波トポグラフィを
用いた治療効果の検討―」などの研究が発表されているが,いずれも医療用
ベッドパットタイプ体感音響装置を使用している.   

C)人工肛門造設患者の術前・術後における精神的・肉体的慰撫の試み2)
 目的:直腸ガン手術により行われる人工肛門造設患者の手術に対する
不安や術後のショックや抑うつ状態が予測された患者に,音楽により精神的
慰撫をはかる.
 方法:音楽とベッドパットタイプの体感音響装置を使用.
 結果:音楽と体感音響振動のもたらす効果や,音楽を通じて患者,家族,
医療者が疾患以外に共 通の話題をもって接することにより,患者は疾患のみ
にとらわれず自分の気持ちを外に発散することができ,精神的安定がはか
られた.また,下痢・便秘などの便の症状によるトラブルがまったくなく,
便のコントロールが得られてセルフ・ケアの自立も早く速やかな家庭復帰が
なされた.
 考察:人工肛門造設患者にとって,下痢・便秘などの便の症状による
トラブルは切実な問題であるが,それがスムーズであったことは注目
される. 


腱膜瘤手術後の痛み悪化

D)大腸回盲部腫瘍切除術
 目的:手術の不安,傷の痛みの緩和のため
 方法:小型体感音響装置を使用しCDを聴く
 結果:術後3日目の朝には排ガスがあり,その日の午後に排便がみられた.
手術後の痛みの中では,手術直後ほど振動は強い方が苦痛や痛みを和らげた.
病状の回復とともに聴きなれた曲に変わっていった.
 考察:聴く音楽が,病状の変化とともに変わっていったことは重要な
ポイントといえる.芸術音楽と癒しの音楽の特質も考慮する必要がある.

E)末期患者に対する音楽療法の試み
 目的:ガン末期患者のトータル・ペイントの緩和,QOLの向上
 方法:ベッドパットタイプの体感音響装置による音楽療法の導入
� ��結果:モルヒネを主とする薬物の投与量が減少し,不安,痛みからくる
うつ状態が軽快した.また,便秘の改善,褥瘡の予防効果が見られた.
 考察:末期医療では個々のさまざまな苦しみや葛藤があり,音楽による
癒しは特に重要である.便秘の改善と褥瘡の予防効果が指摘されている
事実は,心理療法のみならず,直接生理的効果を及ぼしていると考え
られる.

F)胎教としての音楽療法
 目的:妊婦のリラクセーションと胎教,出産の不安や恐怖心,痛みの緩和
 方法:「NST」(ノン・ストレステスト)装置と椅子式ボディソニック
を併用し,体感音響装置を分娩台に取り付け,出産間際の激しい痛みに
合わせて意識的に強い振動に切り替えた.
 結果:胎児の動き,心拍数,眠りの心拍数� ��診断により胎児の状態の
把握がより鮮明になった.分娩台導入後,お産の進行がスムーズになり,
仮死状態の出産はほとんどなくなった.
 考察:人間の原点は,胎児期に体感音響振動を伴った音を聴いていること
と考えられている.母親の好む曲にはっきりと胎児が反応を示すということ
は,母親の心理状態が胎児に大きな影響を与えているといえる. 
     
5.音楽療法とQOL
 音楽療法には治療的側面と健康の維持・増進のふたつの側面があり,
両者について記する.

 1) 治療としての音楽療法
 肉体的精神的に痛みを抱え外からの援助が必要な人が対象の場合を考えて
みよう.クライエントが何を求め,何を待っているかを,医師や医療従事
者・音楽療法士が見極め,さ� ��ざまな音楽療法治療手段の中から適切な方法
を選択し,最終的な治療目的にアプローチしなくてはならない.
 その判定は患者自身の「権利」の「満足度」と「快適性」にある.
「結果がよければそれでよい」というのではなく,その「過程のなかの
快適性」と「結果の納得性」が重要となる.そして,その中には医療に
対する「安心感」とか「信頼感」が含まれていなければならない. 
 患者本人から音楽療法を受けて「よかった」とか「こんなに立ち直った」
などの言葉や態度が伝えられることに大きな意味がある.


 2) 健康の維持・増進としての音楽療法
 この場合には,健康を維持し予防する音楽健康法とも呼ばれている.自分は
健常者であるが,ストレス社会の中で非常に疲れていてこのまま進めば心身症
になってしまうかもしれないと感じている人.それほどひどくなくても,
ストレスからの解放やリラクセーションの必要を感じている人たちが,音楽に
よってストレスの解消をしたりリラクセーションを得たりして,心身の健康を
保とうとすることである.

 3)QOLとの関わり
 以上の2つの側面の底流に共通して存在しているのはQOL(クオリティ・
オブ・ライフ)との関わりであり,そしてQOLの維持・向上である.ある曲
を聴いてその人の症状が一時的 におさまるという対症療法で終わらずに,
健康な人も患者も音楽療法を受けることによって,その後の人生に音楽を
うまく活用して,充実した精神生活を送っていけるようになることが大切
である.  
 QOLとは,健康な状態についてのみ語られるのではなく,生きることその
ものについて語られるものである.生命はホメオスターシスを保ち,発展し
続け,それぞれの目的に向かって進むものであり,健康であろうと病気で
あろうと無関係に自己実現を図ろうとするものだからである.QOLを判断
するのは「その人自身」であり,そこに強制やワクがはめられることが
あってはならない.    
 まさに音楽療法は,QOLを支えることが可能なひとつの有効な方法と
いえる.

おわりに
 3回 に渡って音楽療法の概略を述べてきたが,内科専門医の先生諸氏には
多少なりともご理解いただけたであろうか.
 アメリカなどにおいては音楽療法士が行う音楽療法の活躍の場は,自閉症
などの障害児と精神分裂症などの精神科が中心である. 
 日本では医師や看護婦,医療従事者が中心となり音楽療法の研究,実践を
してきた日本バイオミュージック学会(平成13年4月から日本音楽
療法学会,Japanese Music Therapy Association,JMTA)の存在が
ある.長年にわたり,バイタルサインや医学的裏付けを重視した研究が
行われ,精神科や障害児の他に,心療内科領域,老年医学領域,末期医療
領域,人工透析,成分献血,外科領域,歯科領域,産科領域など広い範囲
での応用研究が進められてきた.
� �今日音楽療法が脚光を浴びているのは,まさしくこの広い範囲での応用
研究が,日本の社会的ニーズに合っているからと言えよう.
 今後ますます今までの研究成果を踏まえて,広く国民の心身の健康に役立
てるよう,音楽療法が発展することを祈ってやまない.

文献
1) W・B・デイビス,K・E・グフェラー,M・H・タウト,栗林文雄訳:
   医療現場における音楽 療法.音楽療法入門下,一麦出版社,
   札幌,111,1998.
2) 日野原重明監修:医療における受容的音楽療法.音楽療法入門下,
   春秋社,東京.229-233,2000.
3) 小松明,佐々木久夫:日本の音楽療法の現状.音楽療法最前線・
   増補版.人間と歴史社,東京,273-276,2000.



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